茶道において抹茶を点てるのに使用する茶道具のひとつである茶筌。
日本で生産される約95%が奈良県生駒市の高山で生産されています。
この高山の地で500年変わらない茶筌作りの技法を伝承されてきた
翠華園 谷村弥三郎 さんにお話を伺って参りました。
高山・茶筌の歴史
現在に至る茶道の様式や思想 ”わび茶”を最初に考案したとされる珠光が
茶の葉を粉にして飲む茶の湯を考えだしたときに、これに使う茶筌の考案がされ
当時高山を収めていた高山領主の子息に制作を依頼されたことによって、高山茶筌が誕生しました。
500年前、室町時代より生まれし高山茶筌は、この地(東大寺)を守る武士達の内職によって生産され
その技法は血縁者の中でも長男のみにしか、技術伝承が許されなかったことから
高山の地での生産が受け継がれ、守られ続けてきました。
この掟は約1920年頃(戦前)まで、続きましたが、戦後になり茶筌職人の担い手が減っていった背景から
現在は血縁者に限らず、広く弟子を取ることによって、この技術を後の世代へと繋いでいます。
※武士は勤めている藩からの給与で暮らしていたが、生活に困窮している武士も多く
内職によって生計を立てていることは少なくありませんでした。
時間を掛けることによって、おのずと良質な素材のみが残る。
茶筌の素材となる竹ですが
虫が寄り付かず、竹の丈夫さがピークとなる冬の一定期間のみ伐採され
釜で茹でることで油抜きされた後、穏やかな日差しの冬期に、天日干しを行った後
2,3年貯蔵された良質な竹のみが茶筌や茶杓などの材料として利用されます。
※竹の伐採は高山及び近郊の竹林からのみ行われています。
素材作りに数年の年月を掛けることで、悪い竹は割れたり、変色したりと
時間の経過によって、おのずと良質な素材だけが残っていくそうです。
生産作業自体は年中を行ってますが
素材の準備だけは、厳しい冬にのみ行われ、竹の天日干しは高山地位の風物詩となっています。
(高山 竹の天日干し)
500年変わらない技法
貯蔵された竹の皮を向き、包丁で16分割された後、茶筌の種類毎に更に細かく割かれた後
薄く削り、形を付けて製品に仕上げていきます。
(左が原竹、右が完成品です。)
各、作業毎に分業され、ここ翠華園では10人近くの職人の手仕事によって
完成品に仕上げられています。
(味削り)
穂先(先端)の部分を湯に浸し、根本から先になるほど薄くなるように削り、
形が内側に丸くなるように、形を付けていきます。
(上編)
筆者も上編と呼ばれる工程を体験。
一本ずつ根本に糸を編んで行く作業はとても繊細で、気の遠くなる作業でした。
(仕上げ)
穂先の乱れを直し、形を整えて仕上げます。
高山茶筌は小刀と指先だけでほとんど作られることから
その技法は「指頭芸術」といわれ、高く評価されています。
紙の薄さほどの厚みも操れる伝統の技で
きめの細かいお茶の泡立ちだけでなく、耐久性や風合いを持つ、高品質な道具に仕上げているのです。
現在では、工業製品のみならず
日本の伝統工芸の製品も海外で生産され、流通している時代ですが
脈々と受け継がれてきた、伝統の技、妥協のない物づくりの精神は
この高山茶筌のように、その土地でしか得られないものが数多くあります。
道具に添えられた伝統の技、土地の歴史や文化
こうした価値としての魅力が、多くの人を魅了しているのではないでしょうか。
今回取材協力頂いた翠華園の代表であり、伝統工芸士の谷村弥三郎さん
35歳の時、若くして先代を亡くされてから以降、翠華園を引き継ぎ
伝統の技法を守り続けて行きます。
茶筌や茶杓などの茶道具の生産だけでなく
茶道の文化や精神を広く伝え、残していくために
茶道教室の運営や、茶懐石や茶事を提供するサービスを行っていらっしゃいます。
翠華園
Website: http://www.yasaburo.com/
〒630-0101 奈良県生駒市高山町5725
TEL.0743-78-0053 FAX.0743-79-3305
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500年変わらずに受け継がれてきた伝統の技
妥協のない物づくりの精神
高山茶筌 翠華園 谷村弥三郎
Posted in: Japanese tablin news, traditional craft
– 2013/10/01